WEBに勝るポスターの利点とは

なんでもWEBで済ませられる世の中になっても、なぜポスターがなくならないのか

検索すれば何でも調べられる時代。画像や文章だけでなく、動画さえも見放題、世界中の人々と24時間通信できる世の中になってなお、わたしたちは旧来の文化を残し、あえて不便な媒体を使うことによって、普段とは違った効果をねらったりすることがあります。

そもそもポスターとは、情報を伝えるのに特化した一枚絵のことです。チラシやラベルのように大量生産して積極的に配るものではなく、壁や掲示板に貼り付けて、じっくりと見てくれるのを待つ、考えてみれば非効率的な媒体です。たとえば映画館を想像してください。宣伝用のポスターが壁に貼り付けてあるのがわかります。あれらはどうしてモニターに表示された画像ではいけないのか。どうしてわざわざ紙でなければならないのか、原点に立ち返って考えてみましょう。

ポスターについて

既に説明した通り、ポスターとは情報を説明するために描かれた一枚絵のことです。厳密には絵が描いていなくてもいいのですが、多くの場合は絵と、伝えるべき文章が書いてあります。文章は簡素なものが多く、あまり長文で細々していないのが特徴です。チラシとは違い、ポスターは流し見する人のほうが多いので、ちらと見てすぐにわかるように詳細を省いて作ってあるのです。この点からいっても、WEBにはない機能、効果があることがわかります。

WEB情報とは、大まかにいえば文章の羅列です。時折画像があったとしても、大概の場合はどちらか(文章か画像)が主役であって、同居しているものは少ない。これはそもそもWEB機能が、情報の統一に特化していない媒体だというところからきています。WEBは、多くの情報をひと目で見、それらのうちから自分で好きなものをピックアップするという機能については優れているのですが、ひとつひとつを作りこみ、見る人に向け単なる情報以上の価値をもたせた画像、ないしは文章を表示するといった機能に関しては、断然紙(ポスター・チラシ)のほうが優れているのです。

 

ライターさんの写真

たとえるならば、映画館とテレビの関係のようなものです。テレビは家にあるので、いつでも好きなときに見られる。しかし映画館で味わうような迫力や臨場感、興奮は得られない。

WEBで見た気になっていても、ポスターにはそれならではの工夫がされており、「楽しさ」でWEBに優っている。これが、WEB時代にあってなお紙媒体の情報が重視される理由のひとつです。

第二の理由には、時代性やライブ感といった要素があります。WEB情報は、一見して自由奔放に書かれた印象がありますが、実は度重なる校正を受けていて、発信者が大手の人間であればあるほど気をつけて書かれています。それに加え、WEBではあらゆる情報が一気に拡散します。校正に漏れがあれば一瞬で広がり、炎上、謝罪しなければならなくなるなど、昨今のWEB業界はたいへん身動きが取りづらい世界になっているのです。だから発信者は、情報を発信した後でも気が抜けず、アフターケアに追われる。無難に、無難にと変化していくのは、仕方のない現象だといえます。

 

ポスターにも利点がある

一方で紙の場合は、もちろん法や規則に則って書かれるのは当たり前ですが、WEBよりは自由がきく世界です。街の壁に張ってるものを見て苦情を言う人は稀です。よっぽどのことがないかぎり、製作者にその苦情が届くことはありません。これがいわゆる生の声というやつで、ポスターにはその時代、その地域、その業界の声が如実に書き込まれているのです。よく、居酒屋などに昔の広告が貼ってあります。なぜあれらの絵が現代まで残っているかというと、独特の雰囲気があるからで、それは写真や画像では味わえない効果といえるでしょう。

時代性はこういったところに現れます。画像とは違い、紙媒体は時間の経過による価値付けが起きるので、昔に描かれた広告でも、現代では資料的価値、文学的、文化的価値があるといった事態になるのです。馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれませんが、こうしたことがあるからこそ、WEB時代にあっても紙の広告が廃れないのです。むしろ後になって、私たちの記憶に残っているのはむしろそういった時代遅れの媒体のほうかもしれません。

最後に、本当にWEBで何でもできるのか?ということに言及しておきましょう。検索ワードを打ち込めば何でもわかるような気になっていますが、実際の所、新聞社や出版社が直接書いている原稿でないかぎり、元をたどれない情報のほうがはるかに多いです。そして、この元をたどれないというのは、情報の価値をはかるうえで非常に重要になります。誰が書いたのかわからない、誰が作ったのかわからない多くの画像、動画は、見る分には楽しめるのでいいのですが、一度仕事に使うとなると、著作権や肖像権、特許、など煩わしい規則に頭を抱えることになります。それが現実の場合なら、たいてい製作者の名、記者、著者の名前がどこかに記されているので、本人もしくは出版元に確認を取ることが容易にできます。

どちらも一長一短だからこそ、共存し、現代まで廃れずに様々な媒体が残っているのです。私たちからしてみれば、退屈しなくていいんですけどね。